大村はま先生との思い出を綴ったエッセイ  by早川哲雄


[ 札幌 ]

 

札幌を東西に貫く"大通り"は札幌に来たことのない人でも知るほどつとに名高い。最近では都市の中の公園として外国に対しても札幌の誇らしげな象徴となっている。しかし、"大通り"は札幌に住んでみるといいことずくめという訳にはいかない。結構不便なところもあったりするが、札幌の顔としての評価は変わらない。

 

それに10年ほど前から始まった冬のイルミネーションの美しさは、冬の雪や寒さがもたらす暗さ、辺境などの重たいイメージから、そこに住む人々自身を解放したように思われる。イルミネーションの輝く大通りは、周辺の山々のゲレンデのオレンジ色のライトと共に北国の生活を変えている。大通りのイルミネーションもゲレンデのライトも雪の夜には透き通って美しいし、オーロラのように神秘的である。誰が考え出したか、誰が北国の雪明りの路を、イルミネーションやライトアップの商品化された美しさに変えて良いとしたのか。漠然とした消費社会の冷たさを滲ませながら、時代が古く暗い時代とは急速に切り離されて、哀しいほど極限まで浄化されていくような孤独感を強いてくる。

 

はま先生の叔父である小川二郎氏が札幌の五番館というデパートを建て、大通りという都市計画を立案した時、時代は未だ拓かれたばかりであり、帝国は若く教育は解答をひとつも持ってはいなかった。すべてが正解に成り得た逞しくおおらかな時代でもあった。描かれた絵にも時代や人の意志がみなぎっている。

 

パン屋を始めてから3年ほど経ってから、偶然の機会から五番館デパート(現在は五番館西武)の〈北海道味の百選会〉や〈全国味百選〉などの催事に出店するようになった。もう今では創立者やそのゆかりの者との因縁やこだわりなどは何の意味も持たなくなった時代なのかもしれないけれど、「五番館」と言ったとき、私や素子さんの心の中にははま先生に繫がる特別な何かが反応する。北海道という風土やそこで「生業」を起こした人の気風やいろいろの思い出が、遠い時間のかなたからシグナルを立ち上がらせる。



[ トップ ]

 

自由が丘駅の〝トップ〟という店で食事をすることになった。はま先生がご馳走してくれることになったのだが、「僕一人ではいやだといったんだ」と言うと、「でどうしたの」「奥様もご一緒でいいのよって言ってたよ」。素子さんはもうあきれを通り越して情けないというか、恥ずかしいというか。うん、今考えてみると一度も会ったこともない人に食事に招待してもらうってのは、ちょっと無茶だったか。

 

でも私は、兎も角会わせなくちゃ話にならないと思ったから、先生のサイフの事情や素子さんの体面については考えなかった。でもおかげで素子さんも〝トップ〟のフランス料理を思いっきり楽しむことができた。素子さんはまだ学生だったし、二人にとってもフランス料理を食べる機会など、そんなになかった頃だと思う。「〝きちんとしたお店よ〟って言ったら、あのとき早川さんは背広を着て来たんですよ」と、はま先生は言う。毎日セーターやTシャツで暮らしていたに違いない。

 

 後年、渋谷のデパートでパンを売ることになった折、素子さんの前に〝トップ〟のケーキと惣菜の売り場があったという。その時、彼女の心の中には、はま先生と出会った"横浜"と"自由が丘"と"成城"の時代がセピア色のフィルムのように流れて行ったに違いないと、あの催事に行かなかった僕は思うのだ。