大村はま先生との思い出を綴ったエッセイ③  by 早川哲雄

焼き魚 

  『憩』という焼き魚の店は、人一人がやっと昇れそうな、急なコンクリート階段を真っ直ぐ上がった二階に、バラックのような薄暗い電球が灯った店である。ホテルのロビーでさえ、杖やエスコートの手を必要とするはま先生を、こんなとんでもない階段の、前と後ろから押したり引いたりして上げたのは、誰か国語教室の方が見ていたなら目を剥かれるほどの暴挙に違いない。けれどそこでは、私と素子さんだけだから先生がいやと言わない限りどんなことでも無謀とはならない。

 

その居酒屋では明治の汗や体臭を漂わせながら座っていても奇妙には映らないし、盛大に焼き魚から立ち上る煙のすごさに、一切の虚飾をはずされてしまう。飯場のようなところであった。私たちはビールで乾杯し、50センチはあろうかというキンキの焼き魚やナメタカレイを食べた。それは料理と呼べるものではないし、ジンギスカン鍋などといった得体の知れない植民地料理とも違うが、圧倒的な北の海の強靭さ、ゆたかさを味わわせてくれるご馳走であった。

 

そこで私たちは、久しぶりの再会を心から喜んで、いつものいろいろな身辺のことについて、先生のお話を聞いた。イエスの生涯が示す意味についても話した。そしてたくさん食べて、たくさん話をして焼き魚の匂いを身体いっぱいにしみ込ませて、郊外のホテルに帰った。車の中で、何かの話の最後に「あの戦争で、なにもかも滅びたんです」と先生が言った。その時の"滅びた"という言葉のひびきには、今思い出してもどこかにつかえのようなものを感じさせるものがあった。


トークショー

平成3年のクリスマスに音楽とお話の会というのを計画した。いつもやっている小さなコンサートに、はま先生の短いお話をジョイントした企画だった。「話をする人」がいて「オーボエを聞かせてくれる人」がいて、すべて終わった後で「あれは何だったのだろう」と考えてみる。「トークショーだったんですよ」とはま先生。なるほどトークショーかと興行主が納得する。何だか自分たちでもわけが分からなく、とにもかくにも先生の"声"を私の友達や私の周りの人達に聞かせたかったし、その言葉の世界に出合わせたかった。深く考え抜いてやったことではない。

 

ただ国語だの教師だのではなく、こんなガサガサした時代の、ゆとりも落ち着きも見通しもない日本に、「でもこんな素晴らしい人はいるぞ」と、その人を合わせたかったし見せたかった。先生の話の底に流れるもの、心の輝きの片鱗なりとも人に伝えられるのなら、何でもよかった。およそ5分位のはま先生のお話があって、その話の後にオーボエの演奏が入る。これを前半2回後半3回繰り返した。原稿を用意していても、先生の話の持って行きようは誰にもみえない。その話に合わせて、オーボエ奏者は演奏の曲目をその場で決定し、即興で始める。曲が終わると先生がまたお話を始める。

 先生の話は、音楽で生まれた雰囲気をまた別の雰囲気へ変えていく。先生も用意した原稿の中でどれを話すかを舞台の上で決めている。演奏と講演のライブすべてが即興、アドリブの連続であった。小さな幼児から高齢の聞き手まで、身じろぎひとつしない2時間は圧巻であった。

 

その時のことを人々は今でも言う。「あれは何だったんでしょう」「とても不思議な人でしたね」と。次の年にも同じことをもう一度やった。最初にやった時の至らなさをもう二度とくりかえさぬようにと思いつめての二度目であったが、不手際は同じようにあって。にもかかわらず、人々の心の中に、はま先生の思い出は強烈に焼きついている。 

 

稼いだテラ銭は1万円札から1円玉までテーブルの上に並べてみんなで勘定した。道央自動車道の砂川オアシスで。それをきっちり二等分して札響の岩崎弘昌氏とはま先生にお渡しした。先生はニコニコしながらそのお札を受け取った。「そおー」っていいながら。でもJRの〝北斗〟で個室を取って帰京する額にははるかに足りなかった。


  私たちは先生の生き方に感動している。仕事に取り組む姿勢に心うたれている。長い不屈の歩みに励まされている。国語を教わることはできなかったが、生きる姿勢を見習うことはどんなに遠くにいてもできる。僕は法律をやめ、素子さんが蕪村研究から遠ざかって天然酵母と無添加のパンの店を始めた時には、目も眩むような宇宙曠野を果てもなくさまようような旅立ちだった。来る日も来る日も20時間に及ぶ労働を繰り返す。そんな日が、何日、何か月続いたのか。ほとんど消耗し切って家に帰って、先生から贈られた全集の中から、何か1冊を取り出して読む。そこにはどこを開いてもはま先生のいつもの変わらぬ姿があった。

 

先生はいつも変わらない。まっすぐ生きているから変わる必要がない。そこには人の疲れや傷ついた心を癒してくれるやさしさがある。私たちはあの全集をそんな風に読んで、遠い曠野を越えてきた。先生の生き方をパン作りの中で体現するということが私たちのテーマだった。夫婦二人で同じ憧れをもって先生を見つめている姿は、どこか今流行の宗教に似ていなくも無いが、〝癒し〟のよってくるところを見ていると、とてもしなやかに自立した自我が聖女のように微笑んでいるように思える。

 

 


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